先生は、なぜ塾の先生になろうとしたんですか?①
おはようございます、子供達のやる気を引き出し、彼らと未来を共に歩む未来義塾(蒲郡市)の守田です。
先日ある生徒から、こんな質問をされました。
「先生は、なぜ塾の先生になろうとしたんですか?」
その時は、あまり時間もなく上手く答えることができなかったので、今日のブログに少しその理由というかきっかけを綴ってみようと思います。
私は、工業高校を卒業し、そのあと大学の工学部応用化学科で物理化学、無機化学、有機化学、分析化学、化学工学などを学びました。
この大学時代の4年間は、なんか机に向かって講義を受けている記憶よりも、1年から卒業するまで有機合成化学実験でビーカーばかりを振っていた記憶しかありませんね。(笑)
後は、空手部でしたので道場でひたすら汗を流していました!
そして大学4年の時、卒業せずに大学院に進学するつもりだったので、全く就職活動もしないまま・・・
沢木耕太郎氏の1986年から92年までに書き下ろした『深夜特急』の旅行記に触発され、夏休みの40日間でアメリカをバスで回る旅へと出発しました。。
今思えば、多分のこの選択が、その後塾講師になるきっかけの1つになったのかもしれません。
1986年の夏。
バックパッカーとして、トップスはTシャツ1枚、ボトムスはリーバイス1本。
いつでもどこでも野宿ができるように バックパックに寝袋と少しの着替え、それから石鹸に洗濯ロープだけを詰め込んでいました。
当時は、スマホもユニクロのエアリズムもありません。
とにかくびっくりするぐらいシンプルな装備でした。
あっそれから、バックパッカーのバイブル「地球の歩き方」は必需品でしたね。
出発したのはまだ中部国際空港なんてなかったので、当時新たな国際空港として1978年に開港した成田空港でした。
当時の成田空港といえば反対派を支援する新左翼活動家らによるテロやゲリラ事件が多発していて、機動隊の警備や空港の周りがバリケードで覆われ凄く物々しい雰囲気でした。
10時間のフライト後に到着したのが、サンフランシスコ。
そこから広いアメリカを小さな町まで網羅している長距離バス「グレイハウンドバス」を無制限に乗車できるチケットを使い、
サンフランシスコからポートランド、ソレクレイトシティ、インディアナポリス、ケンタッキー、アトランタ、エルパソ、ダラス、ロサンジェルス&ハワイの全行程を40日間で移動。
夜にバスで移動し、随分ホテル代を浮かしましたね。
でもその分、バスで多くの人達と出会うことができました。
最初のサンフランシスコで、「マクドナルド」が通じず、1時間以上かけて「マック」を探すことになり自分の英語力の無さを痛感したアメリカ。
ロサンゼルスの金色に輝く夜景に、夢を抱かしてくれたアメリカ。
樹齢2700年を超えるセコイア杉、
アメリカ最大の落差を誇るヨセミテ滝、
巨大な半円形の花崗岩ハーフドーム、
世界最大の花崗岩の一枚岩エルキャピタン、
この世のものとは思えぬほど美しい景色を見せてくれたアメリカ。
多様性
私にとって始めての異国の地。
文化・習慣・宗教・全てが異なる環境の中に留まることで、初めて自分は日本人だと感じることができたし、それが自分の常識や狭い価値観を蹴り飛ばしてくれたと思います。
自分とは異なった多様な価値観の環境に飛び込むことで・・・
視野が拡がり、他者を知ることで自分の好き嫌い、強みと弱み、自分の適性を知ることができ、多様性を理解する多くの経験ができました。
また人種が違う様々な外国人たちと親しくなる人間関係の拡がりは、そのまま視野の拡がりに直結するものだと感じました。
帰国後、私はこんな気持ちを抱くようになりました。
この経験を誰かに伝えたい。
できれば、子供達に・・・
多様性を経験し、広い世界観持つことは、これからの国際化社会を担う子供たちの財産になるのではないかと!
そこから、先生になりたいという気持ちが芽生えてきたのです。
続く・・・・
(PS)
守田 智司
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